福田総理辞任と幕末

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福田総理辞任による、総裁選挙ネタのニュースが毎日取り沙汰されていますが。

辞任辞任って・・・ほんまによくもまァ軽々とって思ってしまう人がたくさんいることは事実のようです。
本人の胸中はいかばかりか、接したこともない国民の一人にとっちゃわかりかねることばかり。
民間人がいきなり総理になったわけでもなく、長いこと政治の場にいて、総理が務まりませんでした。って、責任感がないといわれても仕方ないですよね。


しかも、この人のやってた仕事って、そんじょそこらのサラリーマンじゃないんですよ。
一国を背負う国の代表者ですよ。
そんな覚悟がないのなら、はじめから立候補しなければいい。
一回やっとくと、ハクがつくからとか、永遠に元総理と言われることを名誉に思うとか、やめてほしいね。


ここんところ「新撰組!」のDVDを見続けている。
開国か、そのまま鎖国か。
幕府か朝廷か。
揺れに揺れた幕末時代のエネルギッシュさ、まぶしさに感服する。
若者から、長老者までが国を思い、自国のために尽くしたいという気持ち。


「尽忠報国の義」


この言葉がひっきりなしに降り注ぐドラマをみていると、今の時代があまりにも悲しすぎて情けなくなる。




昨日の京都新聞に書かれていた梵語。


う~~んとうならせられた。


以下、抜粋させていただく。


「元幕臣でありながら、新政府から爵位を受けるなどとは何事か」

明治24年、福田諭吉が論文「痩せ我慢の説」で勝海舟を批判した。

勝の答えが名言として今に残る。

「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」(出処進退は自分で決める。他人が知ったことではない)
勝には頑固な自負心があった。

「江戸城無血開城をはじめ、命がけで維新の嵐に立ち向かった私の苦労が評論家ごときにわかるものか」

・・・・中略・・・・・

限界と見たとき、権力に執着せず恬淡を旨とするのが福田総理の哲学だ。

ただ、恬淡は薄情に繋がる。

出処進退の潔さにとらわれ、国民の苦しみに向ける思いが乏しかった。

トップリーダーとして勝のような「命がけ」の覚悟がほしかった。

・・・・以下略・・・・



私が思うことを、ズバリ書いていたのが昨日の梵語だったので、読んだ時は思わず「そやねん!」と叫んでしまった。



一国を背負い、リーダーとしてやっていく覚悟をもっている政治家があの中に何人いるのか。
金をぬきに、政治家をやっていける人物はいるのか。
自分の所属する政党を守る意外に考えることはないのか。
自分達がやらなければならない仕事は何なのか、それすらわかっていない人たちばかりではないか。


本当の危機が来たとき、まっさきに潰れるのはこの国だろう。

政治家までが個人主義になってしまっては、国も潰れずにはいられないだろう。





尽忠報国の義






今の時代ほど、この言葉がむなしく響くことはないだろう。
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by himenobile | 2008-09-04 13:30 | ♪うらら日記