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教育基本法の改正

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教育基本法の改正

詳しいことは忘れたが、「愛国心を持った人間を育てる」
こういった内容を盛り込んだ、教育へと変化させていくらしい。

愛国心・・・
そもそも愛国心ってなんなのか。
字のとおり「国を愛する心」という意味だろうが、あまりにも漠然としている。
総理である、安倍さんは「美しい国日本」とよく言ってるけど、具体的にその美しさはどういうことを指すのだろう。
本も出版されているので、それを読めばわかるのだろうけど、安部さんのいうその美しい国、日本観を述べたところで、その美しさに賛同するのは10人中何人いるのだろうか。

ここで私がいいたいのは、総理である安部さんの美的感覚を批判しようというのではなく、美しいと感じる、もっと深い核心的な部分を言いたいのだ。
美しいと感じたり、何かを愛する心というのは画一化されたものではない。
人によって、食べ物の好みが違うのと同じで、感じ方も人それぞれだ。
このような主観的な感情を教育法の中に取り入れるというので、ぎょぎょっとしたのだった。
教育の中で、愛国心を植え付けようとして、本当に愛国心が生まれ、育まれるのだろうか。
形や上っ面だけの教育や時間に限りのある学校でどこまでできるのだろう。
もちろんある程度の知識や、教養を教えることは必要だと思うけど、「愛国心」という言葉からもわかるように、問題は心なのであって、心まで国が支配するというのはちょっと奢り過ぎているというか、大それたテーマであると感じる。
一歩間違えば、北のように、はたまた戦時中の日本に逆戻りするのと同じではないのか。

ここ最近の社会は何かがおかしい。
正しい方向へ進もうと模索しているのは、よくわかるがどうも歯車がかみあっていないような気がする。

何か事件が起これば、事件がおこらないよう対策が必要となる。
答えのでない問題にでも、何かしら社会は責任を負わなければならないので、その対策をたてる。しかし、それらの対策は事の核心をつくものではなく、その場しのぎのものであるような気がしてならない。
最近取り沙汰されている、虐待やいじめにしてもそうだ。
責任は学校や社会、国の制度にあると自分以外の外側へ矛先が向けられることが多い。
もちろん、社会面で問題があることも多々あるが、すべてそちらの方向で解決しようという流れがあるような気がしてならない。
自分や身の回りを振り返ることよりも、まわりのせいにしたほうが楽だし、そうした方が都合いいこともたくさんある。
この問題については、また別で書くとして、とにかく愛国心を育むような教育というのがどのようなものになるのか楽しみだ。


私が個人的に、日本に生まれ育ち、よかったと思える瞬間はかつての日本を思い、ロマンに浸るとき。
ずっと奈良が好きだと書いているように、奈良大和路の素朴な土地や風景に触れる時、そういった気持ちが沸々と湧いてくる。
生憎、わずかな歴史や知識しか持ち合わせていないが、このようなお粗末な知識でも自分の感じる心さえあればそれらは芽生えてくるのだ。
要は感じる心が大切なのだと思う。

私の好きな入江泰吉さんの本に書かれていた文章。
私と同じだと深く感動したので、締めくくりにこの文章を引用したい。

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「たとえば飛鳥を歩くとき、そこには昔を偲ぶ明確な目標になる堂塔というものはない。
飛鳥といえば日本の都市文化が形成された最初の発祥の地といわれているが、現代ではそういう形の上での遺産はすべて滅びてしまって、見る影もない廃墟である。けれど、そこに静かに眠っている大和三山の自然のたたずまいを通して昔の飛鳥の盛時を思い浮かべることはできる。飛鳥川にしても、おそらく万葉びとが見たのと同じ川の流れがそこにあるということでイメージを広げることができるはずだ。
そして、その川のほとりをそぞろ歩きする古代の人たちが何を語り、何に心を動かしたかを思い描いてみることは、逆にそこの風景が生き生きと、甦ってくるように感じられるのである。
言葉をかえていえば、こうすることによって私たちは、すぐれた祖先をもったことに誇りを抱くようにもなるし、大和を訪れたことを喜ぶ気持ちも湧いてきて、古代の人たちや大和への愛が芽生えてくるだろう。 」 「大和路のこころ」より引用
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by himenobile | 2006-11-21 20:08 | ♪うらら日記