お骨収め

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昨日は祖母の一回忌のため、法要とお骨収めに行ってきました。
もう一年たったのかぁ~と思いながら、祖母との思い出の家でお経聞いてました。
お経って、全然意味がわからないけど、なんだか心地いいです。
何もできなくて暇なのに、いい時間を過ごしてるような気になります。
本当は亡き人を偲ぶ時間なんでしょうが、いろいろと煩悩の多い私は精神統一なんて無理なんです。

ぼーっとしていたら、丁度、目の前の母に焦点があたり、白髪を見つけてしまいました。
いつも、「美容院に行くと、染めてないの?白髪がないなんてスゴイね!って褒められる」というのが、最近までの母の自慢でした。
トシの割には、まだまだ少ない方だと思うのですが、パッとみてスグに見つかるようになってました。
私が気がつかないうちに、何本も増えていました。

母もトシをとった。

そう思うと、なぜかグッときて、いつも心配ばかりかけて親不孝ばかりしてる自分が情けなく、申し訳なさの気持ちでいっぱいになりました。
家にいるときは、ヤイヤイ小言ばっかり言われるので、正直「うるさいな~」って思うのもしばしば。
でも、それは私のことを思っているから言うのであって、自分の子どもだから言うのであって、愛されている証拠なんですよね。
親の気持ち子知らず。
まさにコレです。


石川啄木の有名な歌があります。

「たはむれに 母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず」

この歌の心情が痛いほどよくわかります。
母や家族のありがたさなんて普段は見過ごしてしまいがち。
わがまま言って困らせてるのは自分。
でもなかなか気付かない。
それでも、温かく時には厳しく見守ってくれている母や家族。
そんな大切なことを、こうした「白髪」や「小さくなった背中」「軽さ」で気付く時がある。
自分はいろんな命や愛によって生かされていたのだと、気付かされる。


b0039246_18331383.jpg阿弥陀様の元で修行中の祖母も、いつも私達を見守ってくれている。
生きるとは何か、死ぬとは何か、苦しみとは何か。
それを身をもって教えてくださってるのが、祖母なんだよと、お坊さんが言っていた。


先日読んだ、養老先生の本にも似たような事が書かれていた。
地獄のようなアウシュビッツでの毎日は、人間にとって無駄だったのかというとそうでもない。
ただ死んでいく人を見ている人間がいる。
その死に様から、学ぶ事は多いと。
生は死に繋がっているが、死を思い、死を学ぶことで生を得られることもあると。
ちょっと、持論みたいなのも混じってますが、まぁご勘弁。

人の死によって教えられる事は多いということです。
もちろん、死する人からのみに、教えられるということではないのですが・・。

なんだか何が書きたいのかわからなくなってきました^^;
ヘンなムードになってしまったので、映画でも観にいってきます。(?)
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by himenobile | 2005-10-03 18:33 | ♪うらら日記